仏教が悟りの宗教であるという事でありますが、仏教信仰の根本は「悟る事」「目ざめること」であります。
今日仏教というと、葬式や法事というもう一つの面のあることを、忘れないでほしいものであります。
どうやって目ざめるのか、悟るのか、と申しますと、各宗、各派の宗旨(宗派の主張)があり、
一概には申しませんけれども、大きく三つに分けることができます。
一つは、自分の努力、修行の積みかさねによって、お釈迦さまと同じ境地、悟りを開くことが出来るという宗旨、これを「自力」といいますが、禅宗等がこれにあたります。
二つは、人間とは弱いものである。
修行などという苦を求めるようなことをせず、弥陀の本願の中に自分んが抱きかかえられていることを知って、ひたすら仏の名を称えていく道、これを「他力」といいまして、浄土系がこれにあたります。
もう一つは、人間は弱い、だから修行という行為をつみかさねてはゆきが、最終的には、その積みかさねの中から御仏にすくいあげられて行くとする宗旨、天台、日蓮系がこれにあたります。
日本仏教にはこのような流れがありますが、そのどれを選ぶかは、皆さんのご自由であります。